明治33年8月2日印刷
同年同月9日発行 【裁縫教授書】というものが出て来ました。
今から、116年前に作られた書...ということになります。これは、何なんだろうか?
ということで、早速調べてみました。
*************************************小学校教員免許状を得るには検定に合格することが必要であると,
明治23年発布の小学校令 第54条,第55条に規定されている。
明治33年発布の小学校令施行規則第39条に小学校の教科を教授する者を
本科正教員とし,その教科目中図画,唱歌,体操,裁縫,英語,農業,又,
手工の一科目,若しくは教科目を限って教授する者を専科正教員であることを規定し,
第98条に教員の検定について詳細に規定している。
第109条に小学校准教員の試験科目及び其程度について規定されているが,
裁縫は女子に限るとしている。
試験科目の程度は通常の衣類の裁ち方,縫い方,繕い方を規定している。
大正8年3月29日の文部省令第6号に小学校施行規則中に改正が行なわれたが,
裁縫に関しては変化が見られない。
又,大正15年4月22日公布の小学校令の改正については第20条に関係教科目が
規定されている.
裁縫教科の内容については,依然として同じように記載され変化が見られない。
昭和2年12月29日文部省令第32号により小学校令施行規則の改正が行なわれ,
第4号表中算術,日本歴史,唱歌,体操,裁縫の欄を改むとあるが裁縫に関しては,
第4学年2時間,第5・6学年は3時間づつ,教科内容については変化がなく,
運針法,通常の衣類の縫い方,裁ち方,繕い方等の代表的用語を以って規定している。
昭和16年3月1日勅令第148号の小学令改正により,国民学校令が公布された。
その第4条の半ばに初等科の女児に付ては裁縫の科目を,高等科の女児に付ては
家事及び裁縫の科目を加うと規定され,芸能科の規定が第13条に規定されている。
以上明治14年以降,昭和16年の60余年の間に社会情勢は刻々と変化していたにも
かかわらず,特に女児の為に裁縫を加すとあり,その教育内容は,運針法より始まり
漸次通常の衣服の裁ち方,縫い方,繕い方と一貫して規定されている。
なお民間の日用に応ずるようにとあり,日常生活に密接した教授内容を求め,
特に教授内容について詳細に示されていないのは,その採択が教授者にゆだねられて
いたのである。
検定教科書から明治36年に国定教科書へと移行し,文部省発行の教科書を
使用することとなるが,裁縫に関しての児童用国定裁縫教科書が発行されたのは
実に昭和17年に至って,初等科裁縫上,中,下の3冊であった。
これ以前は国定教科書としては本来,明治36年小学校令施行規則改正第53条に
裁縫の教科書は児童に使用せしめないことに規定しているから,文部省においては
裁縫教科書を編纂しなかったのである。
しかし,裁縫教授をどのようにしたらよいかを内容・指導法に対する具体的な指示の
必要性にせまられて,裁縫教授要目を示す代りに,裁縫科教師用として初めて
大正5年に裁縫教授書が編纂発行されたのである。*************************************つまり、当時、この教授書は貴重で、裁縫科教師のみが持っていたものということになります。
古い仏壇から出てきたものですが、我が家のご先祖さまは、『裁縫科教師』であった可能性が
高いと言うことにもなります。
私が、昔(中学時代)から、家庭科の教員になりたいと思っていたことや、
今、ここで手芸教室をしているというのも、面白い縁であり、
もうとっくに亡くなってしまった(であろう)、この教授書の持ち主が
空から見ていてくれたなら、一緒に喜んでくれているのかも...という気持ちにもなって来ます。
さて、呼ばれたのか、呼んだのか...。
明日は、中をお見せしましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=pWMgur5te8M (You Tube) 二十四の瞳 高峰秀子 「浜辺の歌」