甘井りんごの5行日記

アクリル板のイニシャル型紙・2
昨日、ちょこっと話の中で触れた「HappyBirthdayプレート」は、コレです。

今年の誕生日、友人からのプレゼント(お洋服)がこの中に入っていました。

この袋がとっても可愛くて、革で描いたら素敵だろうな♪って思い、図案の参考にと保管してありました。

で、イニシャル型紙をオーダーしたというわけです。

ベースに縫い付けるか、フレームに入れるか、1つ1つ単独で作り、ぶら下げるタイプにするかは、まだ未定です。
のんびり、ゆっくり、考えます。

まずは、「R」のイニシャルキーホルダーを作りたいと思います。

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興味深いネットのトピックスがありました。(以下コピー)


キム・ヘナム著、渡辺麻土香訳『「大人」を開放する30歳からの心理学』

「70歳でヨボヨボの人」と「70歳で快活な人」は何が違うのか…米国の実験が証明した"若々しさ"の源

年を重ねても健康で活力のある人は何が違うのか。
健康に年を取りたいのなら、自分の身体年齢にあまり固執しないことだ。
また、年を取っても可能な限り自力で日常生活を送ったほうがいい。

私たちは加齢によって失うものと得るもの、どちらのほうが多いのだろう? 
まずは加齢によって失われていくものを考えてみよう。
若さ、ハリ、黒髪、体力、健康、情熱、性機能、記憶力、(死別に伴って)友人や配偶者、人生に残された時間……。

では逆に加齢によって増えるものには何があるだろう?

年齢、子孫、シワ、腹回りの肉、シミ、頑固さ、小言、激情、悔恨、捨てるべき家具や衣服、孤独感……。

加齢によって増えるものもたくさんあるが、その中でポジティブなものを挙げようとすると、ほとんどないように思う。

かつては年輪を重ねた年長者たちの知恵が、下の世代の人生において重要な指針になった。
そのため若者は困難に直面すると必ず集落の長老を訪ねてアドバイスを求めたし、長老は日頃から敬われていた。

私たちが死の存在を認知してもなおこの世で生きていられるのは、自分たちが死んでも後世の人々をとおして自分たちの人生も続いていくという確信があるからだ。
自分が蓄えた知恵は後世に受け継がれるだろうという確信は、個人の人生に一層の責任感を与える。
過去から未来へと続く連続した時間の中に自分も属しているという感覚は、それだけ重要なものなのだ。

とはいえ現代のように急速に変化する時代では、過去の知識はすぐに意味を成さなくなる。
科学技術の飛躍的な発展が、前世代の知識を使いものにならなくしてしまうからだ。
そのせいで年長者の考えは古くさいものとされ、誰からも耳を傾けられなくなる。

「私たちは皆、若者たちの世界へと移り住んだ移民だ」

移民たちが現地の人たちに交じって生き残るためには、かなりの労力が必要だ。
だが悲しいことに年を取れば取るほど、新たなスキルを習得し、ついていくのは難しくなる。
するとある瞬間にすっかり置いていかれて、ついていくことを諦めるようになる。
その結果、いつしか老いることは死よりも恐ろしいものになるのだ。
すると世間から向けられる否定的な視線に抗うエネルギーも楽天性も失ったまま、良い時期はとうに過ぎ去り、もはや悪いことしか待っていないような気がしてくる。
それゆえ人は長生きしたがる一方で、老いることを望まないのだ。

「私たちの限界を決めているのは、肉体そのものではなく、むしろ頭の中身のほうだ」

つまり同じ70歳でも、その年齢をどう捉えるかによって若々しく生きることは十分に可能というわけだ。
例えば何をするにも年齢を考え、年齢を意識している人は、身体的な状態とは関係なく70歳を「老いて何もできない年齢」と考えているため、受動的で依存的な生活を送ってしまう。
反対に同じ70歳でも、年齢を聞いて驚いてしまうほど若々しい人たちは想像以上に多いものだ。
彼らは自分の年齢を大して意識していない。ただ一生懸命体を動かし、新しいものを学び、趣味を楽しんで活気ある毎日を送っているだけだ。



まったくの同意見だったため、日記に載せてみました。

好きなことがある生活って大事。 また、大事なことのある生活って幸せ。
誰かに与えて貰えるものではないから、自分でコツコツ頑張らねば。

だけど、自分のことが好きであることも大切なこと。
好きでいられるように、努力もまた必要だと思う。

相当な努力。