甘井りんごの5行日記

布マスク用のインナーフレーム・2
両側の渦巻きを叩いたら、マスクの内側に来る部分も硬くするため叩きます。
ずれて、鼻や頬、口に当たらないようにするためです。

渦巻きの根元部分は、マスクの付け外しの際、微調整(マスクの厚さに合わせ締めたり緩めたり)できた方が良いので、あまり叩かないようにします。
全体の力加減が70~80%くらい(100%でつぶし過ぎない)だとしたら、ここは50%くらいでしょうか。


かぐや姫(こちら)を聴きながら作ってました。 (2000年5月31日 NHKホール)

【かぐや姫】
1971年 - 高校の後輩だった伊勢正三とカレッジフォークグループ「シュリークス」を脱退したばかりの山田パンダと共に南こうせつとかぐや姫(第2期かぐや姫)を結成。
1971年9月25日 - シングル『青春』で再デビュー。
1972年4月20日 - アルバム『はじめまして』発売。吉田拓郎らの協力を得て制作され、5万枚を売り上げる。
1973年9月 - シングル『神田川』を発売。深夜放送のリスナーから支持を得て、シングルカットされたこの曲は、最終的に160万枚を売り上げる自己最大のヒット曲となる。この年NHK紅白歌合戦に出場の話が来るが、歌詞に登場する「クレパス」が商標であることから、「クレヨン」への変更を要請され、出演を辞退。「神田川」は後に東宝において映画化されるが、主役のイメージが歌と大きく違いすぎたと南こうせつは話している。

その次のシングルとして南こうせつが考えていたのは「22才の別れ」か「なごり雪」であったが、すでに映画化が決まっていたためレコード会社側が一方的に決めた「赤ちょうちん」をリリース(この曲からグループ名を「かぐや姫」に変更)。その後も映画化の話が絡み「妹」がシングルになるなど、アーティストの意思が無視されることが続き、それが原因で解散が早まったという。

1975年4月12日 - 東京神田共立講堂で行われた解散コンサートを最後に解散。南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風として、音楽活動を継続する。最後の2枚組アルバム『かぐや姫フォーエバー』は、オリコンLPチャートのトップ100に186週ランクインを記録した。



この頃、私は小学生。まだかぐや姫のことは知りませんでした。
中学3年生になって、やっと、お友達のお兄ちゃんの影響で知ることとなります。
学校帰り、その子の家に寄っては『かぐや姫フォーエバー』を聴かせてもらっていました。
グレープ、チューリップ、オフコースを知ったのも、その頃でした。