甘井りんごの5行日記

発根から広がる懐かしい思い出
先日お話したミントの香りのする多肉植物「アロマティカス」こちらをご覧ください)
挿し木をして...ちょうど一週間。
この↑画像で分かりますか? 発根しましたよ。
発芽、発根...嬉しいです。

小学校の一年生の頃でしたか、朝顔の種を植えて、
双葉が出てきたときの歓びと なんら変わらない無邪気な嬉しさ。みたいな。


今から43年前。
大和市中央林間にある某小学校、担任はイマイシグレ先生。
シグレは「時雨」と書く素敵な名前の先生だった。
定年間近の女の先生。
ショートカットで、痩せ型。 目は奥まった四重瞼をしていたなぁ。
声にあまり力がなくて、肺活量不足の感じだった。
膝少し下のグレーのタイトスカートか、ベージュのスパッツをよく穿いてた。
少し、O脚だったと記憶している。 
生徒にとっては、印象の薄い先生だったかもしれない。

私は、3月生まれだから、一年生と言っても、6歳になったばかりで
全てのことが上手くできなかった気がする。(もちろん、出来た子もいたでしょう。)
授業中の挙手もほとんどなかったし、人の前に出ることも苦手だった。


出会いは二年生。
若い、元気な、ウチダキサブロウ先生。 男。
東京の板橋から、小学校のある中央林間まで毎日通ってた。
油っぽい癖のある髪質で、頬に反り残しのヒゲがあるような気負いのない優しい先生だった。
休み時間は、いつも教室か校庭で生徒と遊んでくれて、
「先生は自分たちのことが大好きなんだ」と日々実感し過ごすことができた感じ。
この先生を通して、学校は楽しいところなんだと学んだ気がするな。

小学校四年、五年は、父の会社の都合(転勤)で、家族は新潟市で過ごしたんだけど、
そのウチダ先生は、時々、「お元気ですか?」と封書でお手紙をくれた。
なかなか出来ることではないです。 有難かった。
もちろん、お手紙は今でも大切に取ってありますよ。

この先生が担任になってくれたことは、私にとって、大きかったな。


それから、毎年、一学期のスタートである始業式は楽しみだった。
「担任は、誰だろう? 誰だろう?」って、ワクワクしたな。

中学校の担任の先生は、結婚式にも出席してくれた。 
スピーチでは、成績に色をつけて巨大通信簿まで作って来てくれた。
先生は、家庭科は『10』だったと言っていたけど、アレは嘘。 『9』だ。
今は、大和市の中学校の校長先生かな。

この先生も「生徒大好き!クラス大好き!」丸出しの良い先生でした。
休み時間は、円陣を組んで、その真ん中に先生が入って、
バレーボールをしてよく遊んだ。(←先生が一人セッター)
スポーツも勉強もみんなが頑張るクラスになっていったっけ。
他のクラスの子に羨ましがられることもあったなぁ。


と...話は、多肉ちゃんと朝顔から広がりました。


今日は午後から、高校の役員OG(4名)がアトリエに来て、エプロン作りです。
このエプロンについては、近々「型紙&レシピ」を販売する予定です。
りんご大絶賛!のリバーシブルエプロン。 
自信作です。
(←謙遜しないほどの自信作ですだ。)